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残業代ゼロにはできない?中小企業が陥りやすい固定残業代の法的落とし穴

2026/03/24

労働法

残業代ゼロにはできない?中小企業が陥りやすい固定残業代の法的落とし穴

はじめに:「固定残業代を払っているから大丈夫」は本当か

「うちは毎月固定で残業代を払っているから問題ない」——そう考えている中小企業の経営者・人事担当者は少なくありません。しかし実際には、固定残業代(定額残業代)制度には厳格な法的要件があり、それを満たしていない場合、制度そのものが無効と判断されます。その結果、過去にさかのぼって数年分の残業代を一括請求されるケースが増加しています。

近年、残業代請求訴訟は中小企業においても急増しており、労働審判や訴訟に発展するケースも珍しくありません。弁護士として多くの企業側・労働者側の案件に携わってきた経験から、固定残業代をめぐるトラブルのパターンと正しい対応策をわかりやすく解説します。

第1章:固定残業代制度とは何か——基本的な仕組みの整理

固定残業代とは、一定時間分の時間外労働(残業)に対する割増賃金をあらかじめ固定額として給与に含める制度です。例えば「月給30万円の中に、30時間分の残業代2万円が含まれている」という形式です。

この制度が適法に機能するためには、労働基準法第37条(割増賃金の支払い義務)を満たしつつ、最高裁判例が積み重ねてきた要件を充足する必要があります。制度を設ける経営側のメリットとしては、給与計算の簡略化や人件費管理のしやすさが挙げられます。一方で、要件を満たさない場合のリスクは甚大です。

固定残業代が有効とされるための基本3要件

  • 明確区分性:基本給と固定残業代の金額・時間数が明確に区分されていること
  • 対価性:固定残業代が時間外労働の対価として支払われていることが明らか(名目だけでなく実態として)であること
  • 差額支払い:実際の残業時間が固定残業代に含まれる時間数を超えた場合、差額を追加支払いすること

この3つのいずれかが欠けると、固定残業代は無効となり、別途残業代全額の支払い義務が生じます。

第2章:よくある無効パターン——経営者が知らない落とし穴

実務上、無効とされやすい固定残業代の設定パターンをご紹介します。自社の状況と照らし合わせてご確認ください。

パターン①:「基本給に残業代込み」と言葉だけで説明している

求人票や雇用契約書に「月給〇〇万円(残業代込み)」とだけ記載し、何時間分の残業代がいくら含まれているかを明示していないケースです。最高裁は、固定残業代が有効であるためには「通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外・休日・深夜の割増賃金に当たる部分とを判別できること」が必要であると判示しています(医療法人社団康心会事件・最高裁平成29年7月7日判決等)。単に「残業代込み」では判別できず、無効となります。

パターン②:固定残業代の時間数が不当に低い、または記載がない

雇用契約書に「時間外手当:月2万円」とだけ記載し、何時間分に相当するかを記載していないケースも問題です。時間数の記載がなければ、その2万円が何時間分の対価なのかが不明確であり、明確区分性の要件を満たさないと判断される可能性があります。

パターン③:固定時間数を超えても差額を払っていない

「30時間分の残業代として月2万円を支払う」と定めながら、実際に月50時間残業した月でも追加支払いをしていないケースです。この場合、超過した20時間分の割増賃金が未払いとなります。固定残業代はあくまで「最低保障」であり、実残業が超えれば差額支払いが必須です。

パターン④:業務手当・職務手当に残業代を「含ませている」

「業務手当として月3万円支給。この中に残業代を含む」という設計も要注意です。手当の性質上、残業の対価性が明確でなく、無効とされるリスクがあります。固定残業代は「時間外労働手当」「みなし残業手当」など、その性質を明示した名称で、明確に区分して設定することが望ましいです。

第3章:未払い残業代請求のリスクはどれくらいか

固定残業代が無効と判断された場合、企業はどのようなリスクを負うのでしょうか。

遡及期間:最大5年分の請求リスク

2020年4月施行の改正民法・労働基準法により、賃金請求権の消滅時効が3年(当面の措置)に延長されました(改正前は2年)。さらに将来的には5年に延長される予定です。つまり、現時点でも過去3年分の残業代を一括請求されるリスクがあります。

付加金(罰則的賠償金)の加算

労働基準法第114条は、割増賃金の未払いがあった場合、裁判所は未払い額と同額の付加金の支払いを命じることができると定めています。つまり未払い残業代が100万円であれば、付加金100万円が加算されて合計200万円の支払いを命じられる可能性があります。

労働基準監督署の是正勧告・書類送検

残業代未払いは労働基準法第37条違反であり、労働基準監督署の調査対象となります。是正勧告に従わない場合や悪質と判断された場合は、送検・起訴のリスクもあります。また、是正勧告の事実が表ざたになれば採用活動や会社のレピュテーションにも影響します。

実際の請求額の試算

例えば、月給25万円(固定残業代3万円・30時間分として設定)の従業員が実際には毎月60時間残業しており、固定残業代の設定が無効だったとします。この場合、過去3年間の未払い残業代は概算で数百万円規模に達することがあります。従業員が複数いれば総額は一気に膨らみます。

第4章:有効な固定残業代制度の作り方——実務的な設計ポイント

固定残業代制度を適法かつ実効的に運用するために、以下のポイントを押さえてください。

①雇用契約書・労働条件通知書に明記する

雇用契約書には以下の内容を必ず記載します。

  • 基本給の金額
  • 固定残業代の金額(例:「時間外労働手当:月2万5,000円」)
  • 固定残業代が対応する時間数(例:「月30時間分の時間外労働に対する割増賃金として支払う」)
  • 実際の時間外労働が固定時間数を超えた場合は差額を支払う旨の規定

求人票や募集要項にも同様の記載をすることが望ましいです(求人広告段階での不明確な記載が後のトラブルの種になります)。

②就業規則・賃金規程に根拠規定を置く

固定残業代制度は就業規則・賃金規程にも明確に規定する必要があります。「第〇条(時間外労働手当):会社は従業員に対し、月〇時間分の時間外労働に対する割増賃金として、月額〇円を時間外労働手当として支給する。当該時間数を超えて時間外労働を行った場合は、超過分の割増賃金を別途支給する」といった条項を設けます。

③実態として残業管理を行う

固定残業代制度があっても、実際の残業時間の把握・管理は必須です。タイムカードや勤怠管理システムで残業時間を記録し、固定時間数を超えた月は翌月に差額を支払うオペレーションを確立してください。管理していない場合、争いになったときに残業時間の立証で不利になります。

④固定時間数を現実的な水準に設定する

固定残業代の時間数を極端に低く設定し(例:月5時間)、実態では毎月50〜60時間残業させている場合は、制度の趣旨を逸脱した「形式的な設定」として問題になりえます。業種・職種の実態に合った合理的な時間数を設定することが重要です。なお、月45時間を超える固定残業代の設定は、三六協定の上限規制との関係でも注意が必要です。

第5章:既存の制度を点検・是正する手順

現在の固定残業代制度に不安がある場合、以下の手順で点検・是正を行いましょう。

ステップ1:現状の契約書・規程の確認

雇用契約書・労働条件通知書・就業規則・賃金規程を確認し、固定残業代の金額・時間数・差額支払い規定が明記されているかチェックします。

ステップ2:過去の残業実態との比較

勤怠記録を確認し、固定時間数を超えた月がなかったか、差額支払いが行われていたかを確認します。未払いが発覚した場合は、自主的に是正する方向で検討します(自主是正は後の紛争リスクを下げる効果があります)。

ステップ3:規程・契約書の改訂

不備がある場合は就業規則・賃金規程を改訂し、既存従業員との雇用契約も必要に応じて更新します。ただし、固定残業代の時間数を減らしたり廃止したりする変更は、従業員にとって不利益変更となるため、労働契約法第9条・第10条に基づく個別同意または合理性の担保が必要です。一方的な不利益変更は新たな紛争を招きます。

ステップ4:弁護士・社労士への相談

自己判断での是正には限界があります。特に未払いが大きく発生している可能性がある場合や、従業員から問い合わせが来ている場合は、早めに弁護士・社会保険労務士に相談することをお勧めします。問題が表面化する前に対処することで、損害を最小化できます。

おわりに:「知らなかった」では済まない労働法の世界

固定残業代に関するトラブルは、悪意のある経営者だけが直面するものではありません。「そういうものだと思っていた」「以前から慣習でやっていた」という善意の経営者のもとでも、気づかないうちに法的リスクが積み上がっているケースが非常に多いのです。

労働基準法は強行法規であり、たとえ従業員が同意していても法律に反する取り決めは無効です。「うちの従業員は文句を言わない」という状況が、退職後の元従業員からの請求として突然顕在化することも珍しくありません。

今こそ自社の固定残業代制度を点検し、必要であれば専門家の力を借りて適法な運用体制を整備することが、経営リスクの低減につながります。労働法務に関するご相談は、当事務所へお気軽にお問い合わせください。