2026/07/10
企業法務
「後継者がいないから、そろそろ会社の売却も考えなければ」——中小企業の経営者からこうした相談を受ける機会が、ここ数年で急速に増えています。中小企業庁の調査でも、経営者の高齢化と後継者不在は深刻な課題として指摘されており、親族内承継や従業員承継に代わる選択肢として、第三者への事業承継型M&Aを選ぶ経営者が着実に増加しています。
一方で、M&Aの経験がない経営者にとって、株式譲渡契約書の細部や交渉プロセスには「知らないと損をする」落とし穴が数多く潜んでいます。仲介会社任せにしてしまい、契約締結後に想定外のトラブルに直面するケースも珍しくありません。本コラムでは、会社を売却する立場(売り手側)の経営者が、M&Aの検討段階から契約締結までに押さえておくべき5つの法務チェックポイントを解説します。
中小企業のM&Aでは、会社の株式そのものを譲渡する「株式譲渡」と、事業の一部または全部を切り出して譲渡する「事業譲渡」の2つのスキームが代表的です。どちらを選ぶかによって、手続きの重さだけでなく、経営者が負うリスクの性質も大きく変わります。
どちらのスキームが有利かは、会社の財務状況、許認可の有無、取引先との契約内容などによって異なります。仲介会社の提案をそのまま受け入れるのではなく、自社の状況に即して弁護士に法務面のリスクを確認してもらうことが重要です。
株式譲渡契約書には必ずといってよいほど「表明保証条項」が置かれます。これは、売り手が会社の財務状況や法令遵守の状況などについて、一定の事実を保証する条項です。
問題は、契約締結後に表明保証の内容と実態が異なることが判明した場合、売り手が買い手に対して損害賠償責任を負う可能性がある点です。中小企業のM&Aでは、この賠償義務について売り手経営者個人が連帯保証を求められるケースもあり、会社を売却したはずが、引退後に思わぬ形で個人の財産にリスクが及ぶことがあります。
表明保証条項は契約書の中でも特に専門的な読解力を要する部分です。売却額の大きさに気を取られて読み飛ばしてしまうと、後になって高額な賠償請求につながりかねません。
買い手企業は契約締結前に、財務・税務・法務の各分野で詳細な調査(デューデリジェンス)を実施します。売り手経営者からすると「調べられる側」という受け身の立場になりがちですが、実はこの段階こそ、自社の弱点を事前に把握し、交渉を有利に進めるための重要な機会でもあります。
デューデリジェンスで指摘事項が多く見つかるほど、譲渡価格の減額や表明保証違反のリスクが高まります。M&Aを検討し始めた段階で、自社に対して簡易的な「セルサイド・デューデリジェンス」を実施し、問題点を事前に是正しておくことを強くおすすめします。
会社を売却するということは、経営者個人の問題にとどまらず、従業員の雇用や取引先との関係にも直結します。特に事業譲渡の場合、個々の従業員の同意を得たうえで転籍手続きを行う必要があり、労働条件の維持や説明責任を怠ると、後々労働紛争に発展するおそれがあります。
また、取引先との契約書に「チェンジ・オブ・コントロール条項」(経営権の変動時に相手方が契約を解除できる旨の条項)が含まれている場合、株式譲渡であっても取引先の承諾を得ないまま譲渡を進めると、重要な取引契約が解除されてしまうリスクがあります。契約書を事前に精査し、承諾が必要な契約を洗い出しておくことが不可欠です。
M&Aの初期段階で買い手候補と締結する秘密保持契約(NDA)や、基本合意書に含まれる独占交渉権(エクスクルーシビティ)条項にも注意が必要です。
基本合意書は「法的拘束力がない」と説明されることが多いものの、独占交渉権や秘密保持義務については法的拘束力を持たせるのが一般的です。「まだ仮の合意だから」と軽視せず、最終契約と同様に弁護士によるレビューを受けることをおすすめします。
後継者不在を背景とした事業承継型M&Aは、企業の存続と従業員の雇用を守るための有効な選択肢です。しかし、株式譲渡契約書の表明保証条項、デューデリジェンスで発覚するリスク、契約承継の実務、秘密保持契約の内容など、専門的な法務知識がなければ気づきにくい落とし穴が随所に存在します。
仲介会社は取引の成立を主目的とすることが多く、売り手経営者の法的リスクを最小化する立場からのアドバイスは、独立した弁護士に依頼するのが望ましいといえます。M&Aを検討し始めた早い段階から法務専門家を交えることで、譲渡価格の最大化とリスクの最小化を両立させることができます。
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