2026/04/01
企業法務
「人権デューデリジェンス」という言葉を、最近ビジネスの現場で耳にする機会が増えてきたのではないでしょうか。これは、企業が自社の事業活動およびサプライチェーン全体を通じて、強制労働・児童労働・劣悪な労働環境などの人権侵害が生じていないかを調査・特定し、予防・是正する取り組みのことです。
これまでは大企業の「CSR活動」や「任意の取り組み」として語られることが多かった人権デューデリジェンスですが、現在は様相が大きく変わっています。欧州を中心に法的義務として課す動きが加速しており、日本においても法制化の議論が本格化しています。
中小企業の経営者の中には、「うちは直接輸出もしていないし関係ない」と思っている方もいるかもしれません。しかし、大企業のサプライヤーや下請けとして取引している場合、取引先から人権デューデリジェンスへの対応を求められるケースが急増しています。他人事ではなく、自社の受注機会や取引継続に直結する問題として認識する必要があります。
2024年、欧州連合(EU)においてCSDDD(Corporate Sustainability Due Diligence Directive)が正式に成立しました。この指令は、EU域内で事業を行う一定規模以上の企業に対し、サプライチェーン全体にわたる人権・環境デューデリジェンスの実施を義務付けるものです。
CSDDDの特徴は、義務の対象が直接の取引先(一次サプライヤー)にとどまらず、二次・三次サプライヤーまで遡って調査・対応を求める点にあります。EU向けに製品・サービスを提供している日本企業もその影響を受けるため、欧州の大手企業と取引している日本企業は、間接的にCSDDDの要求事項への対応が求められます。
ドイツでは2023年よりサプライチェーン・デューデリジェンス法(LkSG)が施行されており、ドイツに拠点を持つ一定規模以上の企業に適用されています。日本のサプライヤーがドイツ企業と取引している場合、すでに人権・環境に関する自己評価の提出や監査対応が求められているケースがあります。
日本では2022年に経済産業省が「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」を策定しました。現時点では法的義務ではなく、企業の自主的な取り組みを促す形ですが、政府は法制化を視野に入れた検討を進めています。
また、2024年から2025年にかけて、金融庁・東京証券取引所においても上場企業のサステナビリティ情報開示の強化が進んでいます。上場企業がサプライヤーに対してデューデリジェンスの実施状況の開示を求める流れが加速することは必至です。
法律の話だけでは「まだ先のこと」と感じるかもしれませんが、すでに実務的な影響が中小企業にも及んでいます。具体的にどのような場面で求められているのか、典型的な事例を確認しましょう。
これらへの対応が遅れると、取引継続の打ち切りや新規案件の失注につながるリスクがあります。「法律ではないから」という理由で後回しにしていると、気づいたときには手遅れというケースも出てきています。
人権デューデリジェンスに対応できていない場合、中小企業にはどのような法的・ビジネス上のリスクが生じるのでしょうか。主要なリスクを整理します。
取引先との契約書に「サプライヤー行動規範の遵守」が盛り込まれている場合、人権・労働問題が発覚したときに契約違反として損害賠償請求を受ける可能性があります。「サプライヤーに任せていたので知らなかった」は法律上も契約上も免責事由になりません。
公共調達においても、サステナビリティ基準を評価項目に加える動きが広がっています。ESG・人権への取り組みが不十分な企業は、入札資格の剥奪や評価点の低下につながる恐れがあります。
SNSやメディアを通じて、取引先の人権問題が報道された際に、サプライヤーとして名前が挙がるケースがあります。一度でも「人権侵害に加担した企業」というイメージがつくと、採用や取引先開拓にも深刻な悪影響を及ぼします。
日本でも法制化が実現すれば、義務を履行しない企業に対して是正勧告・課徴金・公表措置が導入されることが想定されます。法律が施行されてから慌てて対応するのでは遅く、先手を打つことが重要です。
「何から始めればよいかわからない」という声をよく聞きます。人権デューデリジェンスは大企業向けの複雑な仕組みと思われがちですが、中小企業には中小企業なりの現実的なアプローチがあります。
まず足元を固めることが最優先です。自社の雇用形態・労働時間・賃金・外国人労働者の雇用状況などを確認し、労働基準法・最低賃金法・技能実習制度(現:育成就労制度)などの法令を遵守できているかを点検しましょう。
自社のサプライチェーンに誰が関与しているかを把握します。特に、海外からの原材料調達・海外委託生産がある場合は、そのルートにリスクが潜んでいる可能性があります。まず一次サプライヤーのリストを作成し、優先順位をつけて確認を進めます。
取引先から書面の提示を求められる前に、以下を整備しておくことを推奨します。
取引先から調査票が届いたときにスムーズに回答できるよう、自社の取り組みを記録・文書化しておきます。「実績はあるが書面がない」という状態では、評価されません。
一定規模を超えたサプライチェーンの調査や、外国語対応が必要な契約書の修正など、社内だけでは対応が難しい部分については、企業法務に詳しい弁護士やサステナビリティコンサルタントに相談することを検討しましょう。初期段階からアドバイスを受けることで、無駄な対応コストを抑えることができます。
サプライチェーン人権デューデリジェンスは、一部の大企業だけの問題ではありません。大企業と取引している中小企業にとっても、取引継続・受注確保・法的リスク回避という観点から、無視できない経営課題になっています。
重要なのは、法律が施行されてから慌てて対応するのではなく、今から少しずつ準備を進めることです。自社の足元(労働環境・書面整備)を固め、サプライヤーの状況を把握し、取引先の要求に応えられる体制を構築することが、これからの企業競争力につながります。
「どこから手をつければよいかわからない」「取引先から調査票が届いて困っている」という場合は、ぜひ一度、企業法務の専門家にご相談ください。当事務所では、サプライチェーン対応に関する法的アドバイスから契約書の整備・規程の策定まで、中小企業の実情に合わせたサポートを提供しています。