Column
2026/09/28
労働法
固定残業代(みなし残業代)は、判別要件と対価性要件を欠くと無効とされ、手当分まで基礎賃金に含めて残業代を再計算されるため、請求額が想定の数倍に膨らむことがあります。この記事では、最高裁判例が示す有効要件と、企業が今すぐ点検すべき規程・契約書・運用のポイントがわかります。
固定残業代とは、一定時間分の時間外労働に対する割増賃金を、あらかじめ定額の手当や基本給の一部として支払う仕組みです。「毎月の給与計算が簡単になる」「求人時に月給を高く見せられる」といった理由から、多くの中小企業で導入されています。
しかし、固定残業代は労働基準法に明文の規定がある制度ではありません。あくまで「法律どおりに計算した割増賃金額以上を、別の方法で支払っている」と評価できる場合に限って、残業代の支払いとして認められるにすぎません。そのため、制度設計や運用に不備があると、裁判所から「そもそも残業代を支払ったことにならない」と判断されてしまいます。
実際の紛争では、退職した従業員が弁護士に依頼し、過去3年分の未払い残業代をまとめて請求してくるケースが典型です。「固定残業代を払っているから大丈夫」と考えていた企業ほど、規程や契約書の記載があいまいで、請求を受けてから慌てることが少なくありません。まずは自社の制度が「有効な固定残業代」の条件を満たしているかどうかを確認することが出発点になります。
固定残業代の有効性について、最高裁判所は一連の判例を通じて判断枠組みを示してきました。実務上は、次の2つの要件で整理するのが一般的です。
通常の労働時間の賃金にあたる部分と、割増賃金にあたる部分とが明確に区別できることが必要です。たとえば「月給30万円(残業代を含む)」とだけ定めている場合、どこまでが基本給でどこからが残業代なのか判別できないため、固定残業代としては認められません。「基本給25万円、固定残業手当5万円(時間外労働20時間分)」のように、金額と対象時間を具体的に示すことが基本です。
その手当が時間外労働等の対価として支払われていることも必要です。最高裁は、雇用契約書や就業規則の記載内容だけでなく、使用者の説明内容、実際の労働時間との関係などの事情を考慮して判断するとしています(最判平成30年7月19日・日本ケミカル事件)。
さらに、最判令和5年3月10日(熊本総合運輸事件)では、残業時間が増えると基本給側の手当が減り、総額がほとんど変わらないように設計された賃金体系について、通常の賃金を実質的に割増賃金へ置き換えたものであるとして、割増賃金の支払いとは認めませんでした。名目上「残業手当」とされていても、制度全体として残業の対価といえるかが厳しく問われる点に注意が必要です。
固定残業代で想定した時間を超えて残業が発生した場合には、超過分を追加で支払う必要があります。超過分を支払っていない運用が続いていると、「固定残業代は残業代を払わないための名目にすぎない」と評価され、対価性が否定される方向に働きます。
裁判例や実務の相談事例から、無効と判断されやすいパターンを整理します。御社の制度に当てはまるものがないか確認してください。
特に中小企業では、創業期に作った給与体系を見直さないまま運用しているケースが多く見られます。最低賃金の引上げや、2023年4月から中小企業にも適用された月60時間超の時間外労働に対する割増率50%への引上げなど、前提となる法制度は変化しています。数年前に設計した制度がそのまま通用するとは限りません。
固定残業代が無効と判断された場合の影響は、単に「残業代を払い直す」だけにとどまりません。いわゆるダブルパンチと呼ばれる効果が生じます。
第一に、固定残業手当として支払っていた金額は残業代の支払いとして扱われず、ゼロから残業代を計算し直すことになります。第二に、その手当は通常の賃金として扱われるため、残業代計算の基礎となる時間単価に組み込まれます。その結果、時間単価が上がり、請求額は大きく膨らみます。
たとえば、基本給25万円・固定残業手当5万円の従業員が月30時間残業していた場合、制度が有効であれば追加の支払いはほとんど生じないこともあります。しかし無効とされると、30万円を基礎に時間単価を算出し、30時間分全額の割増賃金を支払うことになります。これが1人あたり3年分となれば、数百万円規模に達することも珍しくありません。
さらに、裁判では未払い額と同額までの付加金の支払いを命じられる可能性があります(労働基準法114条)。退職者の未払い賃金には、退職日の翌日から年14.6%の遅延損害金が発生します(賃金の支払の確保等に関する法律6条)。賃金請求権の消滅時効は、2020年4月以降に発生したものについて当分の間3年とされており、過去にさかのぼった請求を受けるリスクは以前より高まっています。
加えて、1人の請求が認められると、同じ給与体系で働く他の従業員や退職者からも同様の請求が続く可能性があります。労働基準監督署の是正勧告につながることもあり、固定残業代の不備は経営全体に影響するリスクといえます。
有効要件を満たすためには、書面の記載を整えることが最優先です。次の点を確認してください。
個々の従業員との契約書にも、基本給と固定残業手当の金額、対象時間数、超過分を別途支払う旨を具体的に記載します。就業規則の記載だけで済ませず、個別の契約書面でも明示しておくことが紛争予防につながります。既存社員について制度を変更する場合は、労働条件の不利益変更にあたる可能性があるため、個別の同意取得や十分な説明が必要です。
求人段階でも、固定残業代を採用する場合は、固定残業代を除いた基本給の額、固定残業代の時間数と金額、超過分を追加で支払う旨を明示することが求められています。求人票と実際の労働条件が食い違うと、採用後のトラブルや信用低下の原因になります。
規程や契約書の文言は、自社の給与体系や業種の実情に合わせて調整する必要があります。ひな形をそのまま使うのではなく、専門家のチェックを受けることをおすすめします。担当弁護士のご紹介のページでは、企業側の労務対応を扱う弁護士の経歴や取扱分野をご覧いただけます。
書面を整えても、運用が伴わなければ制度は無効と判断されかねません。固定残業代を適法に運用するため、次の体制を整えておくことが重要です。
固定残業代を導入していても、使用者には労働時間を客観的に把握する義務があります。タイムカードや勤怠管理システムで実労働時間を記録し、毎月、固定残業時間との差を確認する仕組みが欠かせません。「固定残業代を払っているから勤怠管理は不要」という考え方は誤りです。
想定時間を超えた月は、必ず超過分を追加で支払います。給与明細には、基本給・固定残業手当・超過分の割増賃金を区別して表示し、従業員が内訳を確認できるようにしておきましょう。こうした運用の積み重ねが、万一の紛争時に対価性を裏付ける証拠になります。
最低賃金の改定時期や、36協定の更新時期に合わせて、固定残業代の金額・時間数・基本給の水準を点検することをおすすめします。実際の残業時間が固定時間を大きく下回る状態が続いている場合には、制度そのものの見直しを検討する余地もあります。
退職者などから未払い残業代の請求を受けた場合は、感情的に反論する前に、就業規則・契約書・勤怠記録・給与明細を確認し、制度の有効性と請求額の妥当性を検証することが大切です。初動の対応次第で、交渉や訴訟の見通しは大きく変わります。
固定残業代は、正しく設計・運用すれば企業と従業員の双方にとって分かりやすい制度です。一方で、不備があれば多額の支払いリスクを抱えることになります。御社の制度に不安がある場合や、請求への対応方針を検討したい場合は、法律事務所LeONEが企業側の立場から具体的な改善策をご提案します。まずは無料相談のお問い合わせからお気軽にご連絡ください。